僕にとっては、1本1本、全てが特別なライブなんで。
Gargoyle 結成から36 年を迎えてもなお、止まらず歩み続けているKIBA。2024 年1月8日・13 日には、Gargoyle1500本目の節目となるライブ『夢のGargoyle』と題して元メンバーでもあったGt.KENTARO、Ba.TOSHI、Dr.KATSUJI がサポートを務める。今回は、ジャパニーズヴィジュアルメタルを突き進んできたボーカリストKIBAの歴史を紐解きながら、記念すべき1500本ライブについて話を聞いていきたいと思う。
──今回1500本目ということですが、記念すべき1本目、初めてのライブは心斎橋バハマですか?
そうですね、1本目はバハマですね。メタルのバンドはそこから上がっていくという認識がありました。僕らが最初に出た87年はキャパがそんなに大きくなくて、100人くらいだったかな。88年に改装してキャパは増えましたけど。
その頃のバハマは全バンドがハードロックかメタルで、出演者は全員髪が長いっていうイメージ(笑)。お客さんも今のヴィジュアル系みたいな感じで、バハマって会場(に出演するバンド)を応援しているっていうお客さんも多かったんじゃないかな。
──東京と大阪で333枚ずつシングルレコードを販売したら、ソールドアウトされたんですよね?
89年6月6日に666枚発売ということで、6月大阪と東京のライブ会場でシングルレコード「蠢」(うごめき)を販売しました。僕らはまだ知られていなかったし、少しでも人の目を引くことをしなきゃ注目してもらえないと思ったので、ちょっと変わったことをやってみようか…というのと、「666(日付・枚)」っていう数字が何か僕らを助けてくれるかもしれないと思ったんです。
実は、その前に音楽雑誌に載った時があって。音楽雑誌に出ている人はすごい人だと思っていたし、嬉しかったんですよね。まさか載れるとは思ってなくて。今みたいに誰でもインターネットで自分を世に出すことができるというわけではなかったから。雑誌だと編集している人がいて、選んでくれて載るものでしょ。僕らは大阪の小さなライブハウスでやっているだけだったし、まずは音楽雑誌を中心にして、Gargoyleを知ってもらおうって。それで雑誌を意識してやっていき、認知度が上がっていったんです。666枚の「蠢」も雑誌の広告や、記事で取り上げてもらったのがあって、ソールドアウト出来た気がしてます。
その当時はこういう音楽が好きな人はみんな音楽雑誌を見ていたんじゃないかな。
雑誌って、今のインターネットみたいにその人が探したものを見るのではなくて、好きな人には雑誌側から提供するものだったから、情報として浸透度が強かったんです。
雑誌編集者のみなさんはやっぱりすごかったですし。すごく好きで作ってて、話していても楽しかったです。僕らが92年に出した本『眞記』なんて、ほぼ担当の編集の方が1人で作ってくれました。
先ほど話した最初のシングルの広告はモノクロページ1ページだけでした。ただ、それでも当時はみんな雑誌を熱心に読んでいたから、充分だったんだと思います。何て言うのかな…、僕自身も5センチ四方ぐらいにメンバー全員が写っている写真の中の1人を見て、「この人かっこいい」とか友達同士でも話したりしてたくらいで。
あと、当時はGargoyleのライブスケジュール十数文字が載っただけでも嬉しかったな。思わず“わーい”って(笑)。
──1500本目のライブに向けて、今どんな思いで日々のライブに臨まれていますか?
1500という本数はそれはそれで喜ばしいことですし、記念すべき本数に元メンバーのみなさんがプレイしてくれることも嬉しいです。今サポートをしてくれているメンバーたちもすごく良くて、自信はあるんですが、昔のメンバーで見たいというお客さんもいるだろうとは思って。僕自身もやってみたかった気持ちがあったから、今回『夢のGargoyle』は演奏をお願いしました。
きっかけとしては、僕1人になって少ししたらコロナ禍になって。バンド活動をどうしていっていいかわからないくらい困った時に、ドラムのKATSUJIくんとギターのKENTAROくんにサポートとして出演してもらって。その後、昨年の35周年ではベースのTOSHIくんにも出てもらえて。
その35周年が終わった後でマネージャーに「35周年というきっかけで、TOSHIくんにも出てもらえたし、いつか以前のメンバー全員を揃えて、見たい人には見せてあげたいな」という話をしたんですね。それで「次に大きいのは40周年か、もしくは解散する時だから、どっちかかかな」なんて話していたら、その頃マネージャーは本人が命に関わる大きな病気での入院が治り、退院したときで…。しかも、ちょうど知り合いのバンドの方が亡くなられたんです。それでマネージャーから「もしKIBAさんが本当にそれをやってみたいと思うのであれば、“今”やった方がいいですよ。将来やりたいと思ってもみんな健康とは限らないし、音楽辞めちゃっているかもしれませんよ」って。僕は「確かにその通りだな」と思って。“いつか”と言っているような年齢でもないし、自分がもっと若かったとしても、その考え自体はすごく正しいことだと思えたんです。だから、その後1人ずつに連絡をとって今回の趣旨を伝えて、スケジュールを合わせていったら、ちょうど1500本目になりそうだったので、合わせました。なので、1500本の方があとづけです。
マネージャーの知人のバンドはメンバーが亡くなってしまって、そのバンドはもうできないけど、僕たちはまだ元気で音楽ができているわけだし…さいわい仲が悪いわけでもないですし(笑)。
──元メンバーがサポートとして戻ってくることに対して、感情的にはどう感じていますか。
実はこの間バハマの60周年イベントがあって、1本だけそのメンバーで出演したんですが、“今まで通り”でしたね。特別な感じはしなかったというか、前と同じですね。いがみ合って辞めたわけではないし、お互い今も連絡とっているから。
──では、今回の記念ライブも通過点の1つのような印象でしょうか?
いや、僕自身がやりたいという気持ちと、さっきも言ったように、やっぱり見たい人には見ておいてほしいなっていうのはあります。Gargoyleに何かを望んでくれる人には応えたいというか…。曲順も決めましたけど、こういうのを聴きたいかなというのが中心です。
──Gargoyleさんは曲数も多いですよね。昔は年越しライブで80曲とかやってましたよね。
いちばん多かったのは一晩で当時の持ち曲全部をやって93曲ですね。Gargoyleの音楽は激しいものが多いので、公演が終わった後に、「もう手が上がらないや」って言いながらメンバーと帰ったりして。大変は大変なんだけど、僕らを見てくれている人が楽しそうにしていると僕らも楽しくなるし、そんなお客さんが見たいからキツくてもやっちゃう。
あとは、僕がお客さんなら、これが見たいな、っていうの。Gargoyleはいつも自分が見たいバンドでいたいんで。例えば、持ち曲を全曲一晩でやったのも、「あの曲ライブで聴いたことないけど、聴きたいな」って人もいるかもしれないなって。だったら全部やっちゃえば聴けるじゃんって(笑)。
──いや、それすごいことですよ!
自分が見たいバンドでいたいっていう思いが強いんですね。以前ライブ拝見させていただいた時に、「何か1つでも感じて持って帰ってほしい」というようなMCをされていたのを覚えています。
そういうことも言いましたかね。その場で感じたり思いついたことを話してるので、ちゃんとは憶えてないことも多くて。
実はバンドを始めて6年ぐらいはMCをしてなかったんです。僕は一言も喋らずギターとベースが煽りみたいなこと少し話しては、曲をやるみたいな。そのギターが抜けベース1人でそれをやるって変やなって思ってね。じゃあ僕が喋ろうかって。ただ、最初はセリフみたいな、次の曲について思いついた抽象的なイメージを呟く程度で。そもそも当初MCをしなかったのも、人見知りで話すの自体が苦手だったからだし。でもやるうちに慣れて。僕はちょっと苦手なことをやってみるのが楽しいから、今度はお客さんがクスッと笑えることが言えるかな、とか、どんどん喋るようになっていったんです。で、ある日、「事前に考えて喋った方がいいのか、自由に喋ったほうがいいのか、どっちだろう」と思って、一度MCを考えて話してみたんですけど。決めるとライブの雰囲気に柔軟に対処できなくて。結局、その場で思ったことを言えばいいやってなって。なので、その場で感じたことを今でも話してるんです。
──これは余談なんですが、急遽ライブ中に髪の毛を切った時ありましたよね。あれって会場の雰囲気覚えてますか。阿鼻叫喚でしたね(笑)。あれはやると決めていたんですか。
そうそう、マネージャーにしか伝えていなくて…メンバーは知らなかったのかな?
当時は髪がすごく長くて、そのイメージが強かったんです。けど、そこが好きって言われると、それじゃないことをやってみたくなって。じゃあ髪が短かったら俺は好かれないのかな、とか(笑)。ライブを見に来て、急に髪の毛がなかったらみんなびっくりするだろうし、じゃあ見ているところで切った方がいいやって。メンバーは「おぉ…」と思いながら演奏してたのかも(笑)。お客さんがみんなびっくりしてると思って、僕はすごい楽しかったけど。おっしゃられたMCじゃないけれど、みなさんの心に何かが残るライブがしたいなと思ってるし。
最近は配信ライブが増えてきて、僕らもコロナ禍の時は配信ライブを中心にやっていたけど…。やっぱりライブって非日常であるべきでしょ。配信ってライブが日常になってしまう気がして。
そういう意味じゃ、ライブで歌いながら髪を切ったのは、非日常感があって良かったんじゃないかな。
──VISUAL JAPAN SUMMIT2016に出演された際に、KIBAさんが「他にもいろいろなバンドが出てるけど、僕らが違うのが活動を止めずに毎年アルバムを出し続けてきた」とおっしゃってましたが、続ける意義と大変さの両方があるのかなと思ったんですが、楽しいからやり続けているという感じなのでしょうか?
続けるということに関していうと、辞めたいと思ったことは一度もないですよ。大変なことも多分あるんでしょうけど、大変な部分も含めて僕は楽しいんだよね。「いや、すごい困ってる、僕。どうしていいかわからない」っていう時もあるんです。でもGargoyleに関してなら“困ってる僕”っていうのも、僕は楽しくて。
僕は1回目のライブから今まで緊張したことがないんですよ。僕は僕であって、他の誰でもないし、僕だからこそやれることがあると思ってやっていて。逆に言うと、それくらいしかやれることはないとも思っていて。やれないことはどうやっても出来ないんだし。自分以上のことをしようと思ってないから、緊張もしないのかなと思ってます。
なので、困った時も、自分のやりたいこと、やれることを、やってみるだけで。それを精一杯やっていればいいと思ってるんです。バンドなんて人に頼まれたんじゃなくて、自分がやりたくてやってるんだし、やりたいこと以外をやるのなんて、もったいないと思っちゃって。やりたいことしかやってこなかったから、辞めたいと思ったことがないのかもしれない。
逆にネガティブな面が何かあるかを考えると…。仮に、今回の1500回目のライブでGargoyleを辞め、次の日からGargoyleじゃないKIBAになったとして、その自分はなんだろうって考えると怖いかもしれません。Gargoyleは僕にとって、周りの人が、もう辞めればいいのに、と思っていたとしても辞められないかもしれないような依存性があるというか…。Gargoyleでやることの全てが楽しいし、魔力みたいな魅力があるんで。ステージに立っていて気持ちがよかったりとか、GargoyleのKIBAという人でいられるのもそうかもしれない。そういった魔力的な魅力に、ただ溺れているだけなんじゃないかって怖くなる時はありますね。